数学してよアライㄜん

アライㄜんが数学をしないで数学について書くのだ

公理雑感

他のけものが実数の公理を見て「当たり前のことが書いてあるけど公理って何?」から「公理と定義の違いがわからない」ってなってたからその解説も込めて公理に関する雑感を書くのだ

数学の教科書一般のちょっとあやふやな公理を解釈するためにこの文章は書かれたのだ。ここでの「公理」は正確な基礎論の公理じゃないのだ。基礎論のけものにこれを話したら怒られちゃうから注意するのだ

断っておくけどアライㄜんもただの学部生なのだ。悪い点あったら指摘をお願いしますのだ

TL; DR (長すぎて読めない人へ)

  • 公理はもともと各々が「主にその分野で議論する対象について」「無条件で正しいとする」命題なのだ
  • 公理が正しくて十分なんて誰も証明できないのだ
  • 以前は「論理展開のほとんどすべてを説明できる明晰で統一的な学問」ではなかったのだ
  • そこで新しくできた ZFC が集合論の公理でありながら、数学のほとんど全分野を統一的に説明できるようにしたのだ
  • ZFC が合っていれば数学はほとんど合っていると証明できるのだ
  • ZFC ができてから今までの公理は大体「議論の対象とする集合がみたしてほしい性質」すなわち扱う対象の定義を書くものに変わったのだ。公理をみたすものが ZFC 内で存在することをもって公理の正しさを保証するから、これで十分なのだ
  • でも「主にその分野で議論する対象について」「無条件で正しいとする」命題として各自扱うのは変わらないのだ
  • 以上を踏まえて実数の公理を眺めたら意外とこの公理は雄弁で、直感を導いてくれるくらい強いのだ

いきなり公理と言われても……

発端は 1 人のアライさんが困っていたところから始まるのだ
アライさんは解析の勉強中に実数の公理として次を与えられたのだ*1(最後の方で使うけど、今は読み飛ばしていいのだ)

実数の公理

実数とは、以下に続く(R1)〜(R17)の性質を満たす集合である。
以下、$a,b,c,\ldots \in \mathbb{R}$ とする。


[1] 四則の公理 (和($+$)と積($\cdot$)の定義は既にされているものとする)

(R1) (和の交換法則)
$a+b=b+a$

(R2) (和の結合法則)
$(a+b)+c=a+(b+c)$

(R3) (0の存在)
$\exists 0, \ \forall a,\ a+0=a$

(R4) (和の逆元の存在)
$\forall a,\ \exists −a\ ,a+(−a)=0$

(R5) (積の交換法則)
$a \cdot b=b \cdot a$

(R6) (積の結合法則)
$(a \cdot b) \cdot c=a \cdot (b \cdot c)$

(R7) (積の分配法則)
$a \cdot (b+c)=a \cdot b+a \cdot c$

(R8) (1の存在)
$\exists 1,\ \forall a,\ 1 \cdot a=a$

(R9) (積の逆元の存在)
$\forall a,\ a \neq 0 \Rightarrow \exists a^{−1},\ a \cdot a^{−1}=1$

(R10) (0以外の元の存在)
$1 \neq 0$

[2]順序の公理($\leq$ の定義は既にされているものとする)

(R11) (反射律)
$a \leq a$

(R12) (反対称律)
$(a \leq b \land b \leq a) \Rightarrow a = b$

(R13) (推移律)
$(a \leq b \land b \leq c) \Rightarrow a \leq c$

(R14) (全順序性)
$a \leq b \lor b \leq a$

(R15)
$a \leq b\Rightarrow \forall c,\ a+c \leq b+c$

(R16)
$(0 \leq a \land 0 \leq b) \Rightarrow 0 \leq a \cdot b$

[3]連続の公理 (いくつかの等価な公理が考えられる)

(R17)
$A\subset R\ \text{が上に有限}\Rightarrow \exists \sup A \in \mathbb{R}$

1.1 実数ってなーに? – 物理ができないのだ!

この記事はこの引用元の記事の答えとして書かれているのだ。だから引用元を読んで貰えるとより理解が深まると思うのだ

これが「公理」として提示された後すぐに実数論を始めるのは問題があって:

  1. 公理とは数学の議論の出発点だったはずなのだ。証明の基礎となる公理にしてはあまりに数が多すぎるのだ。他の分野でもこのようにたくさん証明の核(公理)があるとしたら数学は雑然としすぎていると思うのだ
  2. すでに実数は高校まででさんざん扱われてきたのだ。そうするとこの実数の公理がすでに存在する実数から派生した命題に見えてしまうのだ
  3. 本当はここから全ての演算のふるまい($3+4=7$ とか)が導出できるのだけど、それはあまり直感的じゃないのだ。すぐに実数論の本質的な部分を始めれば、実数とこの公理が乖離してしまうのだ

以上の理由から公理の意味を考えた後、この公理で少し遊んでみる必要があるのだ

まず、公理にはいくつかの意味の取り方があるから全部同じだと思うと難しいのだ

公理とは

公理は数学をする上で証明なしに認める命題のことだ、とよく言われているのだ
実際のところ、それは合っているし考えようによっては間違っているのだ

アライㄜんは ZFC 公理系を信じているから、この通りに書くのだ。おそらく多くの数学科のけものもこれを信じている*2からきっと大丈夫なのだ

ZFC 以前の公理

自然数について話をするのだ。証明のときに「どうして?」「根拠は?」とより細かく追求する姿勢は重要だけど、たとえば「なぜ」を突き詰めた先に待っている「自然数は本当に存在するのか?」などの疑問を「証明」しようとする行為が実用的な数論をするにあたって無駄なのはわかると思うのだ

いくら数学者といえども無から数学を作り上げるのは無理なのだ。だからどこか直感的なところで証明の遡りは打ち止めになるのだ

でも、あるとんでもない人の直感から従う「自然数はとっても素晴らしいから $m$ に対して十分大きい奇数 $n$ を持ってきたら完全数になるはずだ」などの意味のわからない主張はなんとしても退ける必要があるのだ

そこで、自然数にたいして絶対に正しいと思っていることだけを抜き出して公理と呼ぶのだ。そしたらそれだけを使って証明を行うのだ。本当にそれだけを使うのだ。こうやって作られた議論は公理が間違っていない限り正しいのだ

でも、その公理が間違っていないこと、その公理で全部が証明できることなどは誰も保証してくれないのだ。だれかの作った公理が色々な人から妥当だと認められて、その公理を信じている人たちがその公理で成り立つことを証明する。これが数学だったのだ。わりとふにゃふにゃしてるのだな

ペアノの公理

ZFC 以前の公理としてペアノの公理を紹介するのだ。実はユークリッド幾何の公理とかの方が ZFC 以前の公理の実体に近いのだけど、主張が短いからという理由だけでペアノの公理を選んだのだ。許してほしいのだ

自然数は $0, \textup{suc}, +, \cdot$、あと $m,n$ を記号*3として公理としていくつかの規則をみたすのだ。ペアノの公理の世界ではすべてが自然数だとして話が進むので、$n$ も $\textup{suc}(n)$ も $\textup{suc}(\textup{suc}(\textup{suc}(m)))$も自然数なのだ

まずは自然数自体の性質なのだ:

  1. $\forall n,\ \textup{suc}(n)\neq 0$
    (どんな自然数の次の数も (すなわちどんな自然数に $1$ を足しても) $0$ にならない、って意味なのだ)
  2. $\forall m,n,\ m\neq n\Rightarrow \textup{suc}(m)\neq\textup{suc}(n)$
    (違う数を持ってきたらそれぞれの次の数はやっぱり違うのだ)
  3. $\left(\phi(0) \land \forall n,\ \phi\left(n\right) \Rightarrow \phi\left(\textup{suc}\left(n\right)\right)\right) \Rightarrow \forall n,\ \phi(n)$
    ただし $\phi(n):$ 記号「$0, \textup{suc}, +, \cdot, n$」と論理記号と変数だけを使った論理式
    (ここで $\phi$ は命題関数なのだ。まず $0$ がある命題を満たすとするのだ。$n$ で成り立つと仮定して $\textup{suc}(n)$ がその命題を満たすことを証明できたら、自然数全部で正しいのだ。これは数学的帰納法のことを言っているのだ)

まだ $1$ や $2$ が登場しなくてわかりづらいのだ。よって $1\coloneqq \textup{suc}(0),\ 2\coloneqq \textup{suc}(1)=\textup{suc}(\textup{suc}(0)),\ \ldots$ という略記を使うのだ

足し算やかけ算は次の性質をみたすのだ*4。これも公理なのだ:

  1. $\forall n,\ n+0=n$
  2. $\forall m,n,\ n+\textup{suc}(m)=\textup{suc}(n+m)$
  3. $\forall n,\ n \cdot 0=0$
  4. $\forall m,n,\ n \cdot \textup{suc}(m)=(n \cdot m)+n$

これによって直感的だった $n+1=\textup{suc}(n)$ ($n$ に $1$ を足すと次の数になる)という命題が証明できるのだ*5。これは「自然数は等間隔で並んでいる」という直感を肯定してくれるのだ

ここで公理と定義の違いが現れるのだ。自然数論では自然数という対象がなければ話ができないから、自然数は存在するとして、それの満たす性質を論理式にして書いたものを公理と呼ぶのだ。演算も実は定義できない*6のだ。例えば自然数を足す関数*7 $f(n):=n+3$ とかは自然数と演算が定義されれば定義されるのだ。でも $f$ だけを組み合わせて $+, \cdot$ を作り出すのが原理的に不可能なのはわかると思うのだ。だから前者の演算 $+, \cdot$ を公理として、後者 $f$ を定義としたのだ*8

ZFC へ

長い間数学はこのある意味あやふやで乱立した公理によって成り立ってきたし、それで問題はなかったのだ。ところがある日集合論で興味深いことがおこったのだ。それがラッセルのパラドックスなのだ

ラッセルのパラドックス

みんなは高校生の頃、「集合とは数学的対象の集まりである」と習ったと思うのだ。これのことを「素朴集合論」というのだ。牧歌的な集合論なのだ

ここで $X\coloneqq \{x: \textsf{\footnotesize 集合} \mid x \notin x\}$ を考えるのだ。集合は数学的対象だから集めれば文句なく集合が作れるのだ。それに制限をかけるのだ。「xは自分自身を含まない」とすれば、まあありうるかは別として問題はないのだ。なければ $X=\emptyset$ になるだけなのだ

疑問なのは、$X$ が $X$ に含まれるかなのだ。じゃあ仮に $X \in X$ としてみるのだ。すると、$X$ の条件から $x \notin x$ の $x$ を $X$ に置き換えて $X \notin X$ が導かれるのだ。これは矛盾だから仮定が間違っているのだ! でもどの仮定なのだ?

$X \notin X$ が正しいとすると、これもおかしいのだ。$X$ は集合で、かつ $X$ に含まれないので $\overline{x \notin x} \Leftrightarrow x \in x$ の $x$ に $X$ を代入して $X \in X$ なのだ。矛盾したのだ。これも違うのか……

というわけで、正解は「$X$ が存在してはいけない」なのだ!

いやいや、そんなのおかしいのだ。つまり素朴集合論が矛盾してるってことなのだ。そう、してたのだ

幸いこのころ集合論は黎明期だったから数学界がどったんばったん大騒ぎってことにはならなかったのだ。でも、矛盾した公理系をそのまんまにしておくことはできないのだ。集合をもっとしっかり定義する必要が出てきたのだ

やっと ZFC の登場なのだ

ZFC

ZFC は ZF(Zermelo-Fraenkel 公理系)+C(選択公理)のことなので、ZF から先に説明するのだ。長ったらしく書くのは後での伏線なのだ。後で帰ってくればいいからここはさらっと読み飛ばすのだ
$\emptyset$ を基本としてZF(Zermelo-Fraenkel)公理系が集合の公理を定めるのだ:

外延性の公理
$\forall A,\ B,\ (\forall x,\ x\in A \Leftrightarrow x\in B) \Rightarrow A=B$
(集合の中身が等しいとき、集合が等しいのだ)
空集合の公理
$\forall x,\ x \notin \emptyset$
(空集合があるのだ。外延性の公理より空集合には一意性があるのだ)
対の公理
$\forall x,\ y,\ \exists A,\ \forall z,\ (z\in A \Leftrightarrow (z=x \lor z=y)$
(2 点集合が存在するのだ。これもやっぱり外延性の公理より一意なので $\{x,\ y\}\coloneqq A$ と表すのだ。1 点集合 $\{x\}$ は $\{x, x\}$ のことだと思えばいいのだ)
和集合の公理
$\forall X,\ \exists A,\ \forall a,\ a\in A\Leftrightarrow \exists x\in X,\ a\in x$
($\displaystyle{A\eqqcolon \bigcup_{x\in X}x}$ が作れるのだ)
無限公理
$\exists N,\ \emptyset\in N\land \forall n\in N,\ n\cup \{n\}\in N$
(空集合を含んで、任意の元 $n$ に対して $n\cup \{n\}$ も含む集合があるのだ。この構造どっかで見た気が……)
べき集合公理
$\forall X,\ \exists P,\ \forall A,\ A\in P\Leftrightarrow A\subset X$
(部分集合全体の集合、$2^X\coloneqq P$ の存在なのだ)
正則性公理
$\forall X,\ X\neq\emptyset\Rightarrow \exists x\in X,\ \forall a\in X,\ a\notin x$
(空集合でない集合は、必ず自分と交わらない($x\cap X=\emptyset$)元をもつのだ)
置換公理図式*9
$(\forall x,\ y,\ y',\ \phi(x,y) \land \phi(x,y') \Rightarrow y=y') \Rightarrow \forall X,\ \exists Y,\ \forall y,\ y\in Y\Leftrightarrow \exists x\in X,\ \phi(x,y)$
(これは難しいのだ。ある命題関数 $\phi$ が「関数的」すなわち $\phi(x,y)$ が真なら $x$ の値によって $y$ の値が一意だとすれば、その像つまり $y$ を集めてきたものも集合になるのだ)

正則性公理と置換公理以外はなんとなく認められると思うのだ。この二つは難しいので、正則性公理に関しては無視してもらってもいいのだ。置換公理は「部分集合と写像が作れる」くらいの認識でいいのだ。任意の命題関数 $\psi(x)$ について $\phi(x,y):\Leftrightarrow x=y\land\psi(x)$ で定義すればこれは $\{x\in X\mid \psi(x)\}$ のことになるのだ*10。実は写像は冪集合の部分集合で作れるのだ

後は選択公理(Axiom of Choice)*11なのだ

選択公理
$\forall X,\ (\emptyset\notin X\land \forall x,y\in X,\ x\neq y\Rightarrow x\cap y=\emptyset)\Rightarrow \exists A,\ \forall x\in X,\ \exists t,\ x\cap A=\{t\}$
(互いに交わらない集合の集合 $X$ を持ってきたらそこから元をひとつずつ持ってきて新しい集合 $A$ ができるのだ。ひとつずつ持ってくる、というのは $X$ から集合 $x$ をとってきたときに $A$ との共通部分が 1 点集合 $\{t\}$ になることで定義されるのだ)

さて、ここで注意して欲しいのは ZFC が 集合について しか定義していないことなのだ。だから「実数の集合」をなんの疑問もなしに持ってくる、なんてのはタブーなのだ! ……なんのための公理なのだ? 集合ってそれ単体で使うものじゃないし、そんなことされてもおもしろくないのだ。集合をしっかり定める代わりになんの役にも立たなくなったなんてお笑いぐさなのだ

もちろんそんなことはないのだ。たとえば、「空集合の集合 $\{\emptyset\}$」とか、「空集合空集合の集合の 2 点集合 $\{\emptyset,\{\emptyset\}\}$」とかが扱えるのはわかると思うのだ。これを使ってほとんど全ての数学的対象を表現するのだ

ZF から自然数をつくる

ペアノの公理を満たせば自然数として自然な演算が定義できる、って話をしたのだ。だから「ZFC からペアノの公理を満たすような自然数が構成できる」ことを説明するのだ。さっきのペアノの公理は全部が自然数だったけど、ここでは自然数の集合の元があの公理をみたす、と捉えればいいのだ

ZF の「無限公理」を見てほしいのだ

無限公理
$\exists N,\ \emptyset\in N\land \forall n\in N,\ n\cup \{n\}\in N$

空集合を含んで、任意の元 $n$ に対して $n\cup \{n\}$ も含む集合があるのだ

ここで、$0\coloneqq \emptyset, \textup{suc}(n)\coloneqq n\cup \{n\}$ と定義するのだ。$0$ は空集合の公理から、$\textup{suc}$ は関数だから置換公理図式、あとその中身は対の公理と和集合の公理、さらに ZF では全てが集合であることからちゃんと定義できるのだ

そしたら $N$ が自然数の集合に……ならないのだ。よくよく考えれば、$N$ は「ペアノの公理を満たすようなものを含む」としか言ってないのだ。だからちょっと大きい可能性があるのだ*12。あと無限公理を満たす集合はたくさんあるかもしれないのだ。

だから $N$ の部分集合から無限公理を満たす部分を取り出して共通部分をとるのだ*13。すなわち $\displaystyle{\mathbb{N}\coloneqq \bigcap_{L\subset N: \text{無限公理を満たす}} L}$ と置けば完成なのだ。部分集合はべき集合の公理からとれるし、共通部分も置換公理からとれるのだ

この取り方が $N$ によらないことはちょっと難しいけど、証明ができるのだ*14
かくして
$0\coloneqq \emptyset$
$1\coloneqq 0\cup\{0\}=\{0\}=\{\emptyset\}$
$2\coloneqq 1\cup\{1\}=\{0,1\}=\{\emptyset, \{\emptyset\}\}$
$\,\vdots$
という表現が得られて、ペアノの公理を満たすのだ:

  1. $0\coloneqq \emptyset\in\mathbb{N}$
  2. $\forall n\in\mathbb{N},\ \textup{suc}(n)\coloneqq n\cup\{n\}\in\mathbb{N}$ (無限公理より)
  3. $\forall n\in\mathbb{N},\ \textup{suc}(n)\neq 0\ (\coloneqq \emptyset)$ (それはそうなのだ)
  4. $\forall n,m\in\mathbb{N},\ n\neq m\Rightarrow \textup{suc}(n)\neq \textup{suc}(m)$
    (さっきの構成を見ればわかるけど、$n=\{0,1,2,3,\ldots, n-1\}$ の様な形をしているので、$n\neq m$ のとき $n\subsetneq m\lor m\subsetneq n$ がいえるのだ。これをつかえば真の包含関係から不等式が示せるのだ)
  5. そして数学的帰納法はさっきの共通部分の取り方より従うのだ!

実は、これ以外にも自然数の構成が考えられるのだ。$0\coloneqq \emptyset, \textup{suc}(n)\coloneqq \{n\}$ としてもペアノの公理を満たす集合が作れることを証明できるから試してみるといいのだ

重要なのは自然数の公理を満たすものが ZF から作れた、ということなのだ

演算だけど、ZFC では再帰的定義(自分で自分自身を定義することなのだ)が使えるからそのまま定義しちゃって大丈夫なのだ:

  1. $n+0\coloneqq n$
  2. $n+\textup{suc}(m)\coloneqq \textup{suc}(n+m)$
  3. $n\cdot 0\coloneqq 0$
  4. $n\cdot \textup{suc}(m)\coloneqq (n\cdot m)+n$
無矛盾性を ZFC に押しつける

これで、「自然数の集合」が考えられるようになったのだ。ここから「整数の集合」「有理数の集合」「実数の集合」とかをたくさん考えられるのだ。そして、集合的操作は ZFC からいくらでも行えるようになるのだ

このとき無矛盾性はすべて ZFC に押しつけられるのだ。ラッセルのパラドックスを思い出してほしいのだ。あれは $X$ を作り出した後の推論には間違いがなかったから素朴集合論が矛盾している、と結論したはずなのだ

アライㄜんがペアノの公理(と ZFC の集合論)だけを使っていて、公理系の矛盾を発見してしまったとするのだ。そのとき、手元でさっとペアノの公理を満たす集合を ZF で構成するのだ。そのあと、ペアノの公理を使った推論に間違いがないことを確認するのだ。そうすれば手元の $\mathbb{N}$ でもそれが成り立ってしまうのだ。つまり ZFC が矛盾していることになるのだ

$\mathbb{N}$ を作った後の推論には間違いがないのに矛盾が導かれてしまったから、ZFC が矛盾しているのだ

*15に、ZFC の無矛盾性を信じればペアノの公理にも矛盾がないことが保証され、アライさんたちは安心して数学ができるようになったのだ。めでたしめでたし

ZFC 以後の公理

そもそも ZFC ができてから数学は大きく様変わりしたのだ。昔は集合論なんてほとんど登場しなかったのに、今では石を投げれば集合論に当たるくらい集合論がたくさん使われているのだ

集合論解析学から出てきたものだけど、位相は開集合が重要な位置を占めるし、代数学でも環や体の構造が入るのは集合だし、幾何学は代数や位相を使うからやはり集合論をつかうので、なにをしていても集合論を本質的に使うようになっているのだ

ZFC 以後も公理はかわらず使われるのだ。ZFC で説明がつくからこんなの公理じゃないや、とはならなかったのだ。ただ、その「正しさ」と「扱われかた」については大きく変わったのだ。多くの公理系が「それを満たす集合が ZFC から構成できる」ために無矛盾性を ZFC に押しつけられるようになったし、「対象(これ以上細分できない唯一のもの)は次の性質を満たしているはずだ」みたいな扱いではなくなったのだ。

公理によってその対象が一意に定まる必要はないのだ。さっきペアノの公理を満たす集合はいくつも考えられたわけだけど、その全てが同じ演算をもっていて同じ計算が成り立つことはペアノの公理での演算を見ればわかると思うのだ。だから、公理が一つの対象しか表してはいけないなんて道理はないのだ

代数学の世界に、群というものがあるのだ。群は集合 $G$ と演算 $\cdot, {}^{-1}$、単位元 $1_G\in G$からなり、以下の「公理」を満たすのだ:

  1. $\forall a\in G,\ 1_G\cdot a=a\cdot 1_G=a$
  2. $a\cdot(b\cdot c)=(a\cdot b)\cdot c\ (\forall a,b,c\in G)$
  3. $\forall a\in G,\ a\cdot a^{-1}=a^{-1}\cdot a=1_G$

これを満たすものは本当にたくさん考えられるのだ。整数、有理数、実数、複素数のどれかを $G$、足し算を $\cdot$ と置けば群になってくれるのだ。あと足し算じゃなくても有理数、実数、複素数のどれかを持ってきて $0$ を除いたものを $G$、今度はかけ算を $\cdot$ と置けばこれも群になってくれるのだ。正則行列単位行列があって積が結合法則をみたすから群になるのだ

そして、特筆すべきこととして、群で証明されたことはこれら全てで成り立つのだ。当然実数と自然数、あと行列が同じものなはずないから、これはすごいことなのだ。ZFC 以降の公理*16はこういう風に「みたしてほしい性質」を書いて、それをみたすものが一つでも(ZFC 内で)存在すれば無矛盾性を ZFC に押しつけて議論が成立するのだ

ところで、意地悪な話なのだけど上の「群の公理」は「群の定義」でもあるのだ。なぜなら、群より広い対象について考えるときに「集合 $G$ とその演算 $\cdot$ が『群である』とは以下で定義される: ...」って言うと、「整数は群であり環(これはまた別に定義があるのだ)である」とか、「実数は群、環、体である」とかそういう議論ができるのだ。みたしてほしい性質を書いているんだから、実際に性質の定義として扱っても問題ないのだ。この場合も(ZFCで)例が作れるから無矛盾性にも問題がないのだ

というわけで、ZFC 以降「定義」と「公理」にはそこまで違いがないのだ。集合の性質を述べていれば「公理」かもしれないし「定義」かもしれないのだ。それ自体はどうでもいい話なのだ。考えるものがどのくらい広いかによって使われかたの変わる「気持ち的な」単語なのだ

ただ、「群の公理」と言ったときには、「その世界では最小単位である群が存在して常に成り立つ命題として公理がある」ように扱うのだ。それが本来の公理だったし、そのように扱えば議論もすっきりするのだ。公理がある理由は最初で述べたとおり、「直感に頼って変な主張を認めない」「どこかで証明を打ち止めなければならない」だし、その要件はしっかりクリアしているのだ

公理を「その分野の最小単位の恒真命題」って扱っても、ZFC で再現できる限り厳密に証明ができることになるし、「数学では全てが証明可能」っていわれるのも ZFC がほとんど*17全てを説明できるからなのだ

再び実数の公理

では、さっきの実数の公理について考えてみるのだ。まず、実数の公理は実はいくつかの公理系の集まりなのだ

体の公理

集合 $X$ と $X$ 上の演算 $+,\ \cdot,\ -,\ ^{-1}$ *18単位元 $0,\ 1\in X$ が体を成すことは次で定義される($a,b,c\in X$ とする):

和の交換法則
$a+b=b+a$
和の結合法則
$(a+b)+c=a+(b+c)$
0の存在
$a+0=a$
和の逆元の存在
$a+(−a)=0$
積の交換法則
$a \cdot b=b \cdot a$
積の結合法則
$(a \cdot b) \cdot c=a \cdot (b \cdot c)$
積の分配法則
$a \cdot (b+c)=a \cdot b+a \cdot c$
1の存在
$1 \cdot a=a$
積の逆元の存在
$a \neq 0 \Rightarrow a\cdot a^{−1}=a^{-1}\cdot a=1$
0以外の元の存在
$1 \neq 0$

順序集合

集合 $X$ と $X$ 上の 2 項関係 $\leq$ が順序集合を成すことは次で定義される($a,b,c\in X$ とする):

反射律
$a \leq a$
反対称律
$(a \leq b \land b \leq a) \Rightarrow a = b$
推移律
$(a \leq b \land b \leq c) \Rightarrow a \leq c$

また、以下をみたすとき $(X, \leq)$ を全順序集合という:

全順序性
$a \leq b \lor b \leq a$

さらに以下もみたすとき $(X, \leq)$ を完備順序集合という:

完備性
$\forall A \subset X,\ (A\neq\emptyset\land\exists M\in X,\ \forall x \in A,\ x \leq M) \Rightarrow \exists a\in X,\ (\forall b\in A,\ b \leq a)\land (\forall l\in X, l< a\Rightarrow \exists b\in A,\ l < b)$

これなのだ。実数は体であり順序であるのだ。あとは体の演算と順序の関係を述べているのだ*19:

  1. $a \leq b \Rightarrow a+c \leq b+c$
  2. $(0 \leq a \land 0 \leq b) \Rightarrow 0 \leq a \cdot b$

実数の集合はこれをみたす、と述べているに過ぎないのだ。実際にこれをみたす集合がたくさんあっても全く問題がないのだ*20。あとこれは ZFC から構成できるから安心できるのだ。実際の構成方法はちょっと難しいから割愛なのだ

ペアノの公理から演算を定義して直感が従うことを確認したけど、実数でも同じことができるのだ。では、この集合からペアノの公理をみたす自然数を取り出せることを証明してみるのだ

$0\in\mathbb{R}$ はそのまま、$\textup{suc}(n)=n+1$ と定義し、$0$ と $\textup{suc}$ だけで表せる範囲を $\mathbb{N}$ と置くのだ。これで十分なのだ:

  • $\forall n\in\mathbb{N},\ \textup{suc}(n)\neq 0$ は $n+1=0$ の両辺に $-1$ を足せば $n=-1$ になるから $n\notin\mathbb{N}$ となって従うのだ。
  • $m\neq n\Rightarrow m+1\neq n+1$ の対偶を示すのだ。$m+1=n+1$ とすると、$m+1-1=n+1-1$ より $m=n$ なのだ
  • 数学的帰納法はさっきの制限によって従うのだ

これによって $0,1,2\ (\coloneqq 1+1),3\ (\coloneqq 2+1),\ldots\in\mathbb{R}$ がわかるのだ。さらに $\mathbb{N}$ 上の $+,\cdot$ と $\mathbb{R}$ 上の $+,\cdot$ は一致するのだ*21。$\mathbb{R}$ 上でも $3+4=7$ が成り立つのだ。それもさっきの公理だけで。なんか直感的な気がしてきたのだ?

あと $0<1$ も従うのだ。なぜなら $1\leq 0$ を仮定すると両辺に $-1$ を足して $0=1-1\leq 0-1=-1$ であるから $-1$ が非負だとわかるけど、$(0 \leq a \land 0 \leq b) \Rightarrow 0 \leq a \cdot b$ に $a,b=-1$ を代入すると $(-1)\cdot(-1)=1\geq 0$ *22 になるのだ。でも $1\leq 0$ だったから $1=0$ となって矛盾なのだ。よって $0<1$ なのだ

たとえば「$\forall a,b\in\mathbb{R},a< b,\ (a, b)\coloneqq \{x\in\mathbb{R}\mid a< x< b\}$ を考えると $(a,b)\neq\emptyset$」とかも証明できるのだ。これって結構直感的だと思うのだ。というか区間が定義できなかったら解析できないのだ

まず $\frac{a+b}2$ を考えるのだ。するとまず $a< \frac{a+b}2$ が言えるのだ(なぜなら $a< b$ より $b-a=b+(-a)> a+(-a)=0$ が成り立つのだ。そしたら、$b-a> 0$ と $2^{-1}> 0$ (これも $2\cdot 2^{-1}=1>0$ と対偶から成り立つのだ)より、$\frac{b-a}2> 0$ なのだ。すると $a< a+\frac{b-a}2=(2\cdot a)\cdot 2^{-1}+(b-a)\cdot 2^{-1}=(2\cdot a+b-a)\cdot 2^{-1}=\frac{(2-1)\cdot a+b}2=\frac{a+b}2$ が従うのだ)
同じようにして $\frac{a+b}2< b$ も成り立つから $\frac{a+b}2\in (a,b)$ となって証明完了なのだ$\blacksquare$

このように普段やっている解析学はさっきの公理だけで十分構成できるのだ。だから安心してアライㄜんたちは実数を使っていいのだ。実際に実数がどういうふうに存在しているか(一意か、とか)はあんまり気にせずに、成り立つ性質だけで議論をするのが現代数学の考え方だと、アライㄜんは思うのだ

*1:東京大学工学教程編纂委員会編(2015)『東京大学工学教程 基礎系 数学 微積分』丸善出版

*2:代数や解析などの基本的な数学を簡単にするには便利なのだ。基礎論や圏論をするけものはこれに限らないのだ

*3:使われ方が違うから$0$を定数記号、$\textup{suc}$ を項数 1 の関数記号、$+, \cdot$ を項数 2 の関数記号、$m,n$ を変数記号というのだ

*4:本当は $+(n,m)$ みたいに書くのだけどわかりづらいから中置記法にしたのだ

*5:具体的には $n+1=n+\textup{suc}(0)=\textup{suc}(n+0)=\textup{suc}(n)$ という手順で証明ができるのだ

*6:このへんは本当に複雑な事情があるのだ……。あんまり詮索しないで欲しいのだ

*7:これも関数記号なのだ

*8:「定義ってなんなのか」とかも知りたいけどこれ以上は基礎論の話になっちゃうから勘弁なのだ

*9:置換公理図式は命題関数の数だけ存在するたくさんの置換公理の略記みたいなものなのだ

*10:最初から分出公理を採用した方がめんどくさくなかったかもしれないのだ

*11:これは ZFC が定義されるときにどったんばったん大騒ぎがおきたので仕方なく ZF から分離されたという歴史的経緯があるのだ

*12:一番考えやすいのが $N = \{0,1,2,3,\ldots\}\cup\{\dot{0},\dot{1},\dot{2},\dot{3},\ldots\}, \dot{0}\coloneqq \{\{\emptyset\}\}$ なのだ。$\dot{1}\coloneqq\textup{suc}(\dot{0})=\dot{0}\cup\{\dot{0}\}=\{\{\emptyset\}\}\cup\{\{\{\emptyset\}\}\}=\{\{\emptyset\},\{\{\emptyset\}\}\}$ って感じになるのだ

*13:空でないことは $N$ が $N$ の部分集合であることからなりたつのだ

*14:$\mathbb{N}$ が無限公理を満たし、$N$ によらない証明はZFC公理系について:その2 - Rei Frontier Tech Blog とかに載ってるのだ。要望があればこっち風に書くのだ

*15:対偶なのだ

*16:おおざっぱに公理と呼ばれるもの

*17:全部ではないのだ……数学者は自己言及からいくらでも矛盾を持ってこられるのだ

*18:$+,\cdot:\ X\times X\rightarrow X$
$-:\ X\rightarrow X$
${}^{-1}:\ X\setminus\{0\}\rightarrow X$

*19:これを順序集合であり体であって、これをみたすものを「順序体」と呼ぶのだ

*20:あるのだ。実数の構成としてデデキント切断とコーシー列による 2 つの構成が主に知られているのだ

*21:それは $\textup{suc}$ が $\mathbb{R}$ 上の $+1$ に相当するから成り立つのだ。これを「$\mathbb{N}$ の $\mathbb{R}$ への埋め込み」って言うのだ

*22:$(-1)\cdot(-1)-1=(-1)\cdot(-1)+(-1)\cdot 1=(-1)\cdot(-1+1)=(-1)\cdot 0=0$ より両辺に $1$ を足して $(-1)\cdot(-1)=1$ なのだ